卒業生の声 2016年度(1/2)|生徒の声|金蘭千里中学校入試情報

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2017年度
学校説明会

学校の声

卒業生の声

卒業生座談会 金蘭千里から医師をめざして

2015年に創立50周年を迎えた金蘭千里。生徒一人ひとりと向き合った、ていねいな教育によって “学力を伸ばす” 実績は全国屈指。
医学部へと進む卒業生も多く輩出してきました。金蘭千里で教壇に立って15年目の渡辺徹先生と、渡辺先生が担当し医療の道へ進んだ卒業生が集い、医学部へと進んだきっかけ、
医療への想い、そして懐かしい母校での思い出について語り合いました。

インタビュー参加者
インタビュー参加者
 
38期生大竹由利子市立豊中病院/神戸大学医学部卒
39期生橋本由貴県立尼崎総合医療センター/神戸大学医学部卒
43期生楠山友梨和歌山県立医科大学6回生
45期生塩屋暁子神戸大学医学部4回生
46期生藤山和士大阪大学医学部3回生
47期生金山涼加関西医科大学2回生
48期生井手菜月滋賀医科大学1回生
 
聞き手―渡辺 徹 金蘭千里中学校・高等学校 国語科教諭
(医系小論文・面接講座担当)
医学部生として、医師としての日常

毎日2時間かけて通学しているという井手さん(48期生)。医学部1回生としてのキャンパスライフは「1限から5限まで授業があるのですが、合気道部に入っています。週2回の部活に加えて、新たにバレエとダンスも始めました」と、課外活動もとても充実した学生生活を楽しんでいるようです。
 医学部2回生の金山さん(47期生)は解剖実習と試験に追われる毎日ですが、陸上部に所属して長距離を専門に部活動にも打ち込んでいます。もともと文系に進もうと考えていた金山さん。数学などは苦手科目だったそうですが、「入学したら大丈夫でした。ついていけてますよ」と笑顔。
 「覚えることが多いから、文系の人の方が医学部は向いているかもしれない。大学に入ると物理や化学、数学などの授業はあまりないし」というのは藤山さん(46期生)。すると橋本さん(39期生)が、「仕事となると、理系の考え方が必要なことも」と、現役医師ならではのアドバイス。医療系に従事するには、文系にも理系にも柔軟に対応できる頭脳が必要なのかもしれません。
 「医学部の勉強は文系の方が向いている」とコメントし、高校時代は校技でもある男子サッカー部での活動に打ち込んだ藤山さんは、現在3回生。AMSA(アジア・メディカル・ステューデント・アソシエーション)という、アジアの医学生が多数加盟する団体に所属し、交換留学のコーディネートに携わっています。大学の授業だけでは得られない、実体験を通しての知識や人間力も身につけています。
 高校時代は校技でもある女子バレーボール部のキャプテンを務めた塩屋さん(45期生)は、3回生までの授業は基礎的なものが多くモチベーションが下がっていたと言いますが、「今年から消化器、内科と具体的な勉強が増えてきて楽しくなってきました」。
 6回生の楠山さん(43期生)は、実習先の病院で現場を経験することで自分の適性などを考えながら、「消化器内科や婦人科、乳腺外科などに進みたい」と具体的な方向性を見つけ始めているようです。
 一方、医師として2年目の橋本さん(39期生)は、「頭の中での障害が身体の機能に反映される」神経内科の病理を解明したり、看護師やリハビリスタッフとともに患者さんが実生活で動けるようにケアをしていくことに充実感を感じているそうです。また「何かを計画して実行する力を身につけたい」と休日には息抜きを兼ねて1人海外旅行も楽しんでいるとか。
 病院勤務5年目の大竹さん(38期生)は「激務です」と即答。病院業務では検査、診断、治療を行っていますが、「医療機器の発達で、切らずに治すことができる場合も。難しいけれど醍醐味でもある」と、医師としてのやり甲斐を語ってくれました。消化器内科は緊急を要する患者さんも多く、通常でも夜遅くまでの仕事が続く中で、ひと月で9回の緊急コールや当直などもこなしたとか。2人の医師としての日常についての話に、医学部在学中の5人は身を乗り出して聞き入っていました。

インタビューの様子
金蘭千里中学校・高等学校から、未来へと続く道
金蘭千里中学校・高等学校から、未来へと続く道

卒業生のみなさんが医療の道を志した理由を聞いてみると、実にさまざまな答えが返ってきました。

大竹さん(38期生)は「小学生の頃から医師になるのかなと漠然と考えていた」と言います。救命救急をテーマにしたテレビドラマにも影響され、医師になる志を高めていた高校1年生の頃、研修医の過労死などが社会問題となり、母親から反対されたとか。「建築士など他に手に職をつける仕事や警察などの仕事も考えてはみたものの、やっぱり医師以外は考えられなかった」という強い意志のもと、担任の先生との三者面談で母親を説得し、医学部に進学。「今思うと、初志貫徹して良かった」。
 もう1人の現役医師である橋本さん(39期)は「何か手に職をつけたい。そして、人を助けるような仕事をしたい」という想いから、医師の道へ。父親が医師だったということもあり医学部へ進学を決めたのだと言います。
 「親族に医療関係者が多く、幼い頃から医療系に進むんだろうな」と考えていたという楠山さん(43期生)は、“医師”はハードルが高いと感じて敬遠していたと言います。しかし、高校2年生の時にお祖父様が入院し、担当の女性医師との出会いをきっかけに「医師という仕事を身近に感じ」、医学部進学を決心できたそうです。
 「小学生の頃は小学校の先生、中学生の頃は中学校の先生になりたいと思ったほど、人に影響されやすい」というのは塩屋さん(45期生)。ドクターヘリをテーマにしたドラマを見て、救命活動を行う姿に感動したことが医師を目指す大きな動機になったとか。「高校1年生の頃、学校からいただいた職業ガイドブックでいろんな職業を調べてみたんですが、一生懸命打ち込めるのは医師だと思えました」と、“人の命を助ける、救う”という使命感に魅力を感じたことが医学部進学につながりました。
 「進路については高校3年間、ずっと迷いました」という井手さん(48期生)は、なんとなく医師にあこがれる気持ちは持っていたそうですが、「なんとなく、で医師になっていいのか」という不安もあったと言います。しかし、興味を持てる職業を1つ1つ調べていくうちに医師≠ニ研究者≠ニいう2つの選択肢が残り「医師なら、どっちもできる」と決心して医学部を目指しました。
 小学生の頃にアメリカでの生活を経験した藤山さん(46期生)は、医学部卒業後は臨床経験を経た後、厚生労働省の医系技官を目指しています。「子どもの頃に英語が話せなくて、なめられたという悔しい想いがあって。これから先進諸国を相手に日本が勝てることは医療だ」と感じたことをきっかけに、日本の医療現場を良くしていこうと考えています。

インタビューの様子

高校1年生の文理選択直前まで文系を選択しようと思っていた金山さん(47期生)は、心理学の道へ進むつもりでした。しかし、「心理学は後からでも勉強できる。大学で医師の資格を得てからでも遅くない」と医学部を目指しました。医師なら自分が勉強したことで直接人のお役に立てる、という点も大きな魅力だったとか。「数学とか全然できなかったんですが、数学が苦手でも勝負できる医学部を見つけて、入学できました」という金山さんに、小論文・面接の指導を担当した渡辺先生は「ほぼ国語の力だけで行ききったね。すばらしいと思いますよ」と、その強い信念を絶賛していました。
 7人それぞれに医療の道を選んだ理由は異なるものの、全員の心に共通していたのは“人の役に立ちたい。人を助けたい”“手に職をつけたい”という気持ち。金蘭千里で育んだ豊かな人間性や真面目さから生まれた気持ちなのかもしれません。

金蘭千里中学校・高等学校で何かに取り組んだ思い出

金蘭千里は50年という歴史の中で、さまざまな進化を遂げてきました。かつてその活動内容が限定的だった頃からクラブや文化祭などにも積極的に取り組み、生徒達は多様な活動を通して勉強だけでは得られない体験に触れています。卒業生たちが金蘭千里での思い出を語り合う中で、在籍した年度によって進化してきた金蘭千里の姿が見えてきました。

生徒の自主性を高める高中祭

高校1年生の時から高中祭が変わり、クラス展示・発表を行えるようになったという金山さん(47期)は、3年間実行委員を務めました。現在とは違い、当時の実行委員は「会議で指示されたことをクラスに伝え、クラスの活動をまとめるだけ」だったとか。現在の実行委員会の総務担当は、発表・展示教室の振り分けなど広く企画運営を取り仕切っていることを知ると、「今の子がうらやましい。もっといろいろやりたかった」と少し悔しそう。井手さん(48期生)の学年は中学3年生からクラス発表・展示が始まりました。高校3年生の時に実行委員を務めた井手さんは、「授業に関係した発表にしようと、源氏物語をミュージカル仕立てで発表しました」。また井手さんは合唱祭にも深い思い入れがあり、「高校1年生の時に優勝できて、うれしかったです」と楽しそうに話してくれました。「私達にとっては、クラス単位で発表する合唱祭が文化祭の代わりみたいなものでした」というのは楠山さん(43期生)。中学3年生の時に発足まもない硬式テニス部で活動しましたが、今では100人を越える部員も、当時は人数が少なかったとか。

充実するクラブ活動

そんな話をうらやましそうに聞いていたのが大竹さん(38期)と橋本さん(39期)です。「テニス部ができたのは高校3年生の頃。ちょっと衝撃的でした」という橋本さん。当時のクラブ活動は限定的でした。高中祭のクラス発表もなく、合唱祭も、中学1年生や高校1年生はクラス単位の参加ではなく、学年全員や音楽選択生で歌うだけ。そんな橋本さんの思い出に残っているのはキャンプで行われるスタンツで、「渡辺先生から、君はキャンプの時だけ元気だねって言われた」ことだそうです。「文化祭もなく、キャンプでのスタンツが、唯一のイベントだった」と当時を振り返ります。「在学中からテニス部を作って欲しかったけど、卒業してからできたんですね」という大竹さんは、独自にテニススクールに通っていたと言います。テニスだけでなくピアノにも取り組み、ショパンを弾きこなす腕前に。勉強はもちろん、スポーツや音楽にも真摯に取り組んでいた大竹さんは、「中高生の部活ができたのは良いこと」と、これからの改革にも期待していました。

インタビューの様子
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